私たちが指導した生徒たちが「後輩のために」と書いてくれた、合格体験記です。ぜひ読んでみてください。きっと勇気がわいてきますよ
Mさん (瑞陵高校)
Oくん (五条高校)
Sくん (名東高校)
K君(愛知高校)
慶應義塾大学総合政策学部2年 「加田早耶花」
私は現在、慶應義塾大学総合政策学部に通っている。他にも、ファッション関係の会社でインターンをやって社会勉強をしたり、ミス慶応コンテスト運営や海の家の経営、フリーペーパーの発行を活動とするサークルとテニスサークルに入っていたりと、とても充実した大学生活を送っている。そんな私だが、ほんの3年前はこんな大学生活を送れるとは夢にも思わなかった。私の奇跡の合格体験記をみなさんにお話したいと思う。
私は中学、高校と愛知淑徳に通っていたのだが、中高の私といったら勉強もせずただただ遊びに明け暮れる毎日を過ごしている生徒、一言で言えば「問題児」のなにものでもなかった。毎日制服のまま友達と街へ繰り出し、次の日の学校は休みか遅刻。学校へ行っても寝ているか友達と喋っているかなにかたべているかしか記憶にない。テストで学年最下位をとることも珍しくはなかった。これでは先生に嫌われるのも無理はない。両親も私にため息を吐くばかりだった。そのときの私は、ただただ勉強が嫌いだった。"あんなおもしろくないものをやって一体何になるんだ。勉強ができなくたって将来なんとかなるのだから"そう思っていた。
そんな私に、人生の転換期が訪れたのは高校2年の夏休み前。淑徳高校はA,B,C類に分けられており、A類は愛知淑徳大学の推薦をもらうクラスの集まり、B類は英語選考クラス、C類は外部受験クラスの集まり。B,C類は試験を受けてある程度の学力がないと入ることはできない。私はもちろんA類。むしろA類の落ちこぼれと言ってもよかった。そんな中でも私はなぜか「愛知淑徳大学には行かない」と言い張っていた。なぜか?おもしろくなさそうだったから。ただそれだけの理由だった。かといって受験勉強をしようとも考えてはいなかった。ある日、母はそんな私を見かねて塾に通うことを薦めてきたのだ。「知り合いのお子さんも通っているところで、いい先生がいらっしゃるそうだから話だけでも聞いてきたら?」そう言って母はその先生との面談を申し込んでくれた。塾なんかに通う気などさらさらなかった私だったが、話だけなら...とその先生を訪れた。
そして私は坪田先生と出会った。髪も茶髪で制服をダラダラと着たやる気のない私に、先生は「君が慶應とか行ったらおもしろいよね。目指してみる?」と言うのだ。"この人頭おかしいんじゃないの?"と私は鼻で笑った。しかし先生の目は真剣だった。その日から、決して簡単とは言えない私の受験が始まったのだ。まずは私の学力がどの程度のものかを先生が把握するために中学1,2,3年レベルのテストをやらされた。中一の問題はさすがにできるよと思いながらやってみたら80点。中二レベルは60点。中三レベルになると20点ほどしかとれなかった。先生もさすがに驚いていた。
「まずは中学の文法からやらなきゃね」先生は笑った。"ほんとに大丈夫なのか?"と半信半疑ではあったが、私はとにかくこの先生を信じてついていこうと思った。それからというもの、高校2年の頃はまだ遊びながらではあったが先生がやれといったことはなんでも頷いて実行にうつした。
「いいくにつくろう?」「平安京!」と答えた日には【マンガ 日本の歴史】を読めといわれ,何冊も家に持って帰って学校を休んで何度も読んだ。東西南北がわからないことを告白した日からは、毎日東西南北の方向を確認させられた。「鎌倉ってどこ?ああ、京都か」という私のひとりごとをきかれた日には、ひたすら白地図で日本の都道府県を覚えさせられた。ここまでいえば、私のひどさがわかってもらえるだろうか。それでも先生は私に「大丈夫だから。俺を信じろ」といい続けたのだった。もちろん、受験科目ひとつひとつの勉強も毎日こつこつ決められた量をこなした。とにかく最初はなにも考えずただ先生に言われたことをやっていた。すると、高校2年の終わり頃に受けた試験でいきなり成績が伸びたのだ。ほんとうに、"気がつけば"学力があがっていたのだ。自分でも驚きだった。先生は「ほら、いったでしょ」と私に言った。そのとき、「慶應合格も夢じゃないかもしれない」と感じたのだった。
高校3年になってからは、私自身本気になって毎日勉強にうちこんだ。先生に言われたことをただやるのではなく、自分でいかに勉強の効率がよくなるかを考えたり、自分がどの科目のどの部分が弱いかを分析してみたりと積極的に努力した。やればやるほど実力になっていくのを感じた。この私が、勉強がおもしろいと感じられるようになったのだった。学校では先生や友達から「加田が壊れた」と騒がれた。もう私には『慶應合格』しか頭になかった。
しかし、やはり私の超えようとしている壁は予想以上に高かった。自分の偏差値が上がればあがるほど、プレッシャーに何度も押しつぶされそうになった。何度も逃げ出したくなった。しかし先生は、私がくじけそうになったときにいつもこういってくれた。「プレッシャーっていうのは、その壁を超えられることができる人だけが感じるものなんだよ」と。私は自分を信じて最後まで精一杯やりとげようと誓った。
そして私はついに慶應義塾大学に合格した。1年半追い続けた夢が叶ったのだ。いいようのない達成感は今でも忘れられない。思わず涙が出た。私を一番近くでみまもっていてくれた母や父、そして坪田先生も一緒に泣いてくれた。"どうせ無理だろ"とまわりの誰からも期待されずにがんばってきた私の受験生活で、私を信じて応援し続けてくれたのはこの3人だけだった。私の合格を聞いた友達や学校の後輩や先生たちはみな耳を疑った。この年、私の高校で慶應義塾大学に一般合格したのは私だけだった。
大学受験に大切なのは、なにより「自分を信じること」だと思う。人は、だれでも無限大の可能性を秘めている。私はそれを自分に教わった。もちろん、受験はその志望校のレベルが高ければ高いほど多くの時間と忍耐、そして努力を要する。しかし、長い人生でほんの少しの間全力でそれをがんばるだけで、その先の人生が変わるのだ。私は今、とても幸せだ。ここでしか学べないことを、日々多く学んでいる。それは学校の授業でだけでなく、インターンやサークル活動、学校で出会った友達や先輩たちを通してである。これらは慶應に合格していなかったら一生出会わなかったことや人たちばかりだ。
私は今も自分の中のさらなる可能性を信じている。さらに大きな夢に向かってがんばっている。みなさんもぜひ、自分を信じてがんばってほしい。受験は決して無駄にはならない。必ずあなたを大きくしてくれる。そして、将来あなたが理想とする自分へのひとつの跳び台にしてほしい。
諦めなければ必ず大丈夫。みなさんの合格を心から願っています。
藤田保健衛生大学医学部医学科 2年 K (愛知高校卒)
私は劣等生でした。偏差値は40前後でしたし、英語の辞書の引き方すら分かりませんでした。
当時の自分を知る人は、医学部に受かるなんて想像もできなかったでしょう。
そんな自分がなぜ医学部に合格できたのでしょう。それは、ここの先生方に出会えたからだと思います。
もし、先生方に出会えていなかったら今頃私は人間のカスになっていたかもしれません。
先生方は、合理的で効率の良い勉強法、丁寧で分かりやすい解説、勉強から生じるストレスのケアを提供してくれたので、あとは自分が言われたことをしっかりやれば良いんだと思ってやりました。
すると、偏差値も急上昇し、見事合格できました。私は、ただただ勉強が嫌いだった。"あんなおもしろくないものをやって一体何になるんだ。勉強ができなくたって将来なんとかなるのだから"そう思っていた。
ですから、みなさんも先生方に言われたことをしっかりやっていけば私のように劣等性といわれていても、志望校に合格できると思います。
先生方を信じて頑張ってください。